<光の伝授>
大東流合気柔術 光道の創始者である、故・錦戸武夫先生――晩年は錦戸無光先生――より授かった**「光」**を伝えることにしましたので、ここにお知らせいたします。
錦戸先生の直弟子、孫弟子、あるいは合気修行者であるかどうかに関わらず、コーチや治療家、ヒーラー、求道者も歓迎します。修行歴はなくても大丈夫です。
この文章を読み、私に引き継がれた光にご縁やご興味を持たれた方は、ご連絡いただければと思います。
ご希望の方には、光の伝授をいたします。 お問い合わせいただければ、料金などの詳細をご連絡いたします。
その際、動機や、武術・悟りに関わる修行――仏教、密教、道教、仙道、ヨガなど――のご経験があれば、簡単に書いていただけるとありがたいです。
もちろん、修行歴がなくても問題ありません。 ※光を感じる感じないは個人差がとても大きいです。
感じたから効果が大きくて、感じなかったから効果が小さいとも言えません。
身体の浄化や中脈の発達度合いも人それぞれで、開発度合いで受け取れる能力に個人差が大きくあるのが実状です。準備に応じた変化しか起こりません。
ご自身の変化・変容に少しでも役立てられればと思える方は大丈夫ですが、感じる感じない、効果があるないに不満が出る方は全くお勧めしませんので、ご理解の上お申し込みください。
<大東流合気柔術 光道の技術伝承について>
大東流合気柔術 光道における、合気柔術の具体的な技術の伝承に関しては、先生がご存命中に免許皆伝となり、師範になられた方々がいらっしゃいますので、そちらをお尋ねください。
先生が伝えた大東流合気柔術 光道の合気には、気の技、合気の技、光の技などの段階がありました。
錦戸先生が生前、先生のいうところの「本当の合気」ができるようになったとお認めになった方は、たった二人だったそうです。
その中での序列も明確にあったようですが、ここではお名前などは記さずにおきます。
また、晩年、先生は大東流合気柔術 光道の「光道」という名について、 「私の代で閉じる」 とおっしゃっていたと聞いています。
無光と改名されたことと関係があるのだと思います。
私と先生には、奇妙なご縁があったようです。
なぜ私が光の伝承を受け、そして光を伝えることができるのかについて、以下に書いておきます。
<錦戸先生の光の体験>
大東流合気柔術 光道の技術伝承について 先生は、ラーマクリシュナが降りてきて、強烈な光の体験をされたそうです。
いわゆるエンライトメントの体験だったのだと思います。
先生はDVDを二種類出されていますので、その光の体験の前と後で、先生ご自身にどのような違いが生じたのかを観ることができます。 ご興味のある方は、購入して観察してみてください。
<錦戸先生との出会い>
1997年頃だったでしょうか。正確な時期が分かりませんでした。
大東流合気柔術の達人ということで、熊本の友人から錦戸先生を紹介されました。
見学に伺っただけでしたが、道場に入るなり、私の下丹田が反応し、激発していることが分かりました。
このことをお話しすると、先生は興味深く感じられたようでした。
私の下丹田が、先生の下丹田に共振共鳴したのだと思います。
その次に、私のもとへ中国武術を習いたいと来ていた大学生に、 「達人を見たことがないだろうから、会ってみたい?」 と聞いたところ、本人が希望したため、一緒に連れて行きました。
これがご縁となり、先生が大阪に来てくださることになりました。
<大阪での光の伝授>
錦戸先生は、堀川幸道先生から、 「あなたを仕込んでみたい」 と言われたそうです。 錦戸先生が北海道へ移住される前、東京にあった先生の道場へ、堀川先生が北海道から何度か来てくださったことがあったと聞いています。
そのため、先生は、 「堀川先生が私の所に来てくださったので、今度は私の番」 とおっしゃり、二年ほどの間、毎月大阪に来てくださいました。
そして私は、先生から光の伝授を受けました。
当時、先生は次のようにおっしゃっていました。 「今は武術、大東流合気柔術はどうでもよくて、瞑想で光のことだけをやっていたい」 「だけど、お弟子さんが熱心にやって来るので、仕方なく教えている」 また、私に対しては、 「あなたと、あなたが連れて来た人の二人は、光の縁で私の所に来た」 「他の弟子さんは、柔術の縁でここに来た」 とも言われました。
当時の私は、武術そのものよりも、悟りや覚醒への関心の方が強かったため、先生と思うところがうまく合致したのだと思います。
だからこそ、大阪まで来ていただけたのかもしれません。
<先生との飲み会/食事と、京都での出来事>
先生とは、何度も飲み会/夕食をご一緒する機会をいただきました。
京都でのある飲み会の時のことです。 その場には大先輩方が数人いらっしゃいましたが、先生の話に先輩方はついて来られないようでした。
そのとき先生は、 「この二人――私とさとみ――は分かっているが、お前たちは全員分かっていない」 とおっしゃいました。
新参者であった私は、非常にばつが悪い思いをしました。 お開きの後、大先輩のお一人が私に、 「本当に分かっているの?」 と聞かれました。
私は、 「ええ、分かっていますよ」 と答えました。 そのことを、今も覚えています。
私が学んでいた中国武術の老師は、とても意識レベルが高く、まるで禅僧のような方でした。
そのため、私にとっては、先生がお話しされていることはごく自然なことでした。
しかし、武術にしか興味のない方にとっては、錦戸先生が本当に伝えようとしていたことは、かなり難解だったのかもしれません。
<光に関する不思議な体験>
先生に関わる不思議な体験はいくつかあります。
ここでは、光に関することだけを書いておきます。
<頭頂と股から入って来た光>
二回目か三回目だったと思います。 比較的初期の頃、夜横になっている時に、強烈な光が入って来る体験がありました。
色をあえて書くなら、白っぽい銀色でした。
その光が、頭頂と股から入って来て、胸――中丹田、あるいはハートチャクラの高さ――で、ショートするように爆発したのです。
かなりの音と衝撃でした。 元極学では、胸は元気と元光が交わる場所とされています。
そのため、これは黄金殿が開いた現象だったのかもしれません。
<ラーマクリシュナと思われる存在からの光>
何回目の頃だったかは忘れましたが、先生に会いに行く前日、熊本の友人宅に泊まった夜のことです。
その夜、強烈な光の体験をしました。 布団に横になり、電気を消した直後でした。
寝ている私の頭の左上方に、何者かが来た気配を感じました。
そして、その存在が私の頭に触れたと感じるや否や、強烈な白い光が、頭の太さほどの幅で、滝のように大量に流れ込んで来たのです。
まるで、頭から足まで光の柱が出来上がるような感覚でした。
この体験を先生に話したところ、先生は開口一番、 「それ、私でした?」 と言われました。
不思議なことをおっしゃるなと思いましたが、同時に、先生らしいとも思いました。
私が、 「違うと思います」 と答えると、先生はすぐに、 「じゃあ、ラーマクリシュナ様だ」 と言われました。
私も、 「ええ、私もそう思います」 とお答えしました。 不思議なことですが、何者が来たのか、分かるものなのですね。
ラーマクリシュナが直接降りて来て、光を授かるとは思いませんでした。 ただ、中国武術の修行でも不思議な体験はいくつかしていましたので、さほど驚きませんでした。
<私自身の光の体験>
錦戸先生との話ではありませんが、ここで、私自身の光に関するエピソードも紹介させていただきます。
<最初の光の体験>
最初の光の体験は、1992〜1993年頃だったと思います。
寝ている時に、身体は眠っているものの、意識は目覚めている状態でした。
その時、白い光の束が額に入って来たのです。かなり強烈な白い光でした。
それが最初の光の体験でした。 その光は、350mlの缶ジュースほどの太さでした。
股から上がって来る光も、何度も経験しました。 白に金色が入っているような光が多かったように記憶しています。
一度だけ、股から頭頂まで、身体の中心には白い光が直線状に上がり、その両側を別々の色の光がらせん状に回りながら上がっていくことがありました。 ヨガでいう、スシュムナー、ピンガラ、イダーにあたるものだと思います。
その後は、すべて中脈だけに上がって来ました。
<元極学の仲間との体験>
1996年頃、日本元極学学会という、元極学の日本支部のようなところが実家近所にあり、遊びに行くようになりました。
そこで代表の徐曉輝さん(日本テレビの元極学創始者 張志祥先生の特集に出演)や、そこに出入りする仲間と親しくなりました。
ある日、徐さんのご自宅に伺うことになりました。 その場でお二人が、元極の「静功」という瞑想的な行を始めました。
私は静功を特に行っていなかったため、少し退屈になり、「大日如来と一体になる」という自生起を行う行を始めました。
すると、お二人が静功を終えた直後に言ったことに、私は驚き、思わず笑ってしまいました。
徐さんは、 「今日の静功は凄かった。目の前に元光の世界が広がっていました。こんなことは初めてです」 と言われました。
そして、すぐに私の目を見て、 「凄い量の強い元光が出ている」 と、とても驚いていました。
また、もう一人の仲間も、静功が終わるなり、 「今日の静功は凄かった。こんなことは初めてです。キンキラ金の仏様が目の前に現れました」 と言って驚いていました。
私が放った光や、その時にできたエネルギー場を感じ取れるのだと分かり、お二人の能力に感心しました。おかげで上手く自生起ができていることが確認できました。
<中黄庭と金色の光>
時期は正確ではないかもしれませんが、おそらくこの体験の少し前くらいに、元極学でいう中黄庭――へその高さの中央――から、金色の光のレーザービームが上下に走りながら、球面状に全方向へ光が広がる体験がありました。
その後、中国の蓮花山、元極学の総本山へ行った時のことです。
元極学の第二部功法の書籍の中に、私のこの体験を思わせる絵があり、とても驚きました。
元極学では、中黄庭ができると太陽系と強く結びつくようで、元光が激発するのだとされています。
このような体験があったため、錦戸先生は私の光が見えていたのか、あるいは感じておられたのかもしれません。
だからこそ、光の縁を感じて、大阪まで来てくださったのだと思います。
<禅のような修行をしていた頃の体験>
悟りを開いたとのことで、十牛図の解説書を出されている某先生のもとで、只管打坐の瞑想や公案 など、禅のようなことを学んでいた頃のエピソードです。 1997〜1998年頃のことです。
当時、私はよく、 「あなたの後ろに、黄色い帽子を被ったお坊さんが見える」 と言われていました。
その話を某先生にお伝えしたところ、先生には見えていたのでしょうか。
「ああ、その人はこの人だよ」 と言って、一枚の絵葉書を渡されました。
渡された絵を見ると、背景の雲が動き、その人物の背後から後光のように光が射して来ました。 私はとても驚きました。
後にも先にも、絵が動くという体験はありません。
リンゴすら頭に思い浮かべることができない私には、現実の絵をイメージで動かすことなどできません。
そのため、これが白昼夢なのかと驚き、真昼間に見えた幻覚の鮮明さにとても驚きました。
絵が動いて戸惑っていることを先生に伝えると、 「その通りだと分かるように、見せてくれたのだろう」 と言われました。
そして、その人物は、ゲルク派の開祖であるツォンカパ大師だと教えていただきました。 しかし当時の私は、ゲルク派もツォンカパ大師も知りませんでした。
そのため、頭の中は疑問符だらけで、キョトンとしていました。
先生は私がその団体に出入りするようになってから、チベット密教の名立たるマスターたちがやって来るようになった、とも言われていました。
ただ、私自身には見えも聞こえもしないため、否定も肯定もできない状態でした。
<透明なオーラとツォンカパ大師>
この当時の私のオーラは、白っぽい透明だったそうです。
オーラが当たり前に見える方たちであっても、かなり集中しないと私のオーラは見えないと、よく言われました。
この団体には、気やオーラ、霊体、菩薩や如来、龍などの霊的存在が見える人たちが何人もいました。
そして、私の後ろにツォンカパ様が見えると、何人もの方から同じことを言われました。 アメリカ旅行中のことです。
海外でしたので携帯電話が使えない状況でしたが、彼らは別々の車に乗りながら、テレパシーで会話していました。
しかも、その会話はきちんと成り立っていたのです。 そのため、彼らに見えているものを、単なる妄想だとは言い切れないものがありました。
この団体の先生には、 「来た最初から光っていたのは、あなたとRだけだ」 と言われました。 Rさんはこの団体の卒業生で、先生から「悟りを開いた」と認められた方です。
卒業後は出家し、曹洞宗で修行僧になられた方でした。 そして、なんとこの方も、大東流合気柔術を学んでいたのです。
大東流合気柔術は、もともと神主が伝えて来たとも聞きます。 そう考えると、神や光と関わりの強い武術の流派なのかもしれません。
<2015年頃のオーラの話>
コーチングを学んでいた2015年頃のことです。
同門のコーチが、私について次のように言いました。
「神田さんのオーラは透明で、先生と同じでわけが分からない」 さらに、 「強いて例えるなら、シャボン玉のようで、透明だけれど、七色が入っている」 とも言っていました。
<最後に>
ラーマクリシュナ様やツォンカパ大師、チベットのマスターたちが来るようになったという話などは、どこまで行っても、私自身には真偽を確かめようがありません。
ですので、肯定的に受け取れる方のみ、話半分に受け取っていただければと思います。
ただ、私にとってこれらは、実際に起こった体験であり、錦戸先生とのご縁、そして光の伝授へとつながる大切な流れでもありました。
この文章を読んで、私に引き継がれた光にご縁やご興味を感じられた方は、ご連絡いただければ幸いです。
ご希望の方には、光の伝授をいたします。

