院長紹介

神田正彦の歩み

吉田勧持先生
院長である神田正彦は「構造医学」を専門としており、構造医学の創始者である吉田勧持先生の最初期の内弟子であり、その中でも高弟にあたります。
吉田先生から直々に構造医学を学び、吉田先生自らの要請により、構造医学の実践とその理念を世に広める為、 実家のある地元大阪の地に1996年に開業しました。
後に結婚を機に現在地に移転開業し、現在に至ります。
全国でも数十人しかいない吉田先生の内弟子の中でもトップクラスの実力をもち、構造医学を高度に体得した治療家であるため、大阪府外からの来院者が多く、国内の患者様はもとよりスポーツ選手の治療やリハビリ、運動指導などでも数々の実績があります。
幼少から武術に強い興味を持ち中国武術や気功、日本の古武術などを学び、仏教・チベット密教やヨガなど「悟り」の探求も長年続けてきました。現在も「道」を極めることをライフワークとしています。

長年の気功修行や「悟」の探求により98年頃に「空」の体験をし、さらに「空」の理解・体験を深めるべく「空観」「仮観」「中観」の行を修行中、自分の得た「悟」に役割を持たせるためにマインドの使い方の専門家として活躍できるよう、苫米地英人博士にコーチングを師事し、コーチの仕事も生涯の仕事として選びました。
治療家以外では苫米地式コーチングの認定コーチとして活動中。

治療家や武術家として養った身体能力や身体運動など身体開発の専門家として、武術家やスポーツ選手/アスリートの身体開発だけでなく、気功や仏教・チベット密教で得た特殊な体験や知識を活かした心身両面の指導、本質力の向上を最優先とする上達の専門家として活動しております。
略歴
1986年 (19歳) | 武術修業の探求のため人体の構造や機能に強い興味を持ち治療の世界に入る |
1987年 (20歳) | 明治鍼灸専門学校に入学。 カイロプラクティックDr.小林忠正DC (パーマー・カイロプラクティック大学卒 米合衆国政府認定 ・アイオワ州認定) 主宰の、ガンステッド・クラブに入会 「ベーシック・クラス」「アドバンス・クラス」を受講 パーマー系のカイロプラクティック・テクニック GONSTEADを学ぶ |
1988年 (21歳) | 吉田勧持先生の著書「構造医学の原理」に出版と同時に出会い、構造医学/吉田勧持先生に出会う 構造医学協会主宰の構造医学セミナーに参加するため隔月で大阪より熊本に通う |
1989年 | 構造医学研究所主催の隔月の定例会の講座にも参加するため毎月熊本に通う |
1990年 (23歳) | 鍼灸資格試験終了後、卒業式を待たずに熊本市にある日本構造医学研究所に就職 |
1991年 (24歳) | 中国武術・気功の達人に出会い、入門 本格的に武術・気功の修行を始める |
1992年 (25歳) | 老師の正式な弟子(拝師門徒/掌門人)となる 教練・支会長・副長などを勤める |
1995年 | 吉田勧持師の命により阪神大震災のボランティア活動のため地元(大阪)に戻る |
1996年 | 吉田勧持師の依頼により実家で上本町オステオパスオフィスを開業 |
1996年 | 中国の伝説的な気功の達人張志祥先生に元極学(気功)の混沌初開法の貫頂、鴻蒙済判法の貫頂を受ける |
1998年 (31歳) | 気功・武術修行の成果により「空」の体験をする 神田身療室を移転開業 |
2006年 | ダライ・ラマ法王に金剛界マンダラの灌頂を受ける |
2011年 | ダライ・ラマ法王に再度金剛界マンダラの灌頂を受ける |
2013年 | 苫米地英人博士の講演会に参加、博士に出会う。 7月第1期苫米地英人アカデミーが開講され参加 12月第1期苫米地英人アカデミー修了 |
2014年 | ダライ・ラマに胎蔵界マンダラの灌頂を受ける 7月第2期苫米地英人アカデミー修了 12月第3期苫米地英人アカデミー修了 |
2015年 | 4月苫米地式コーチング認定コーチ養成講座終了 認定コーチと成る 6月苫米地博士によるハワイ・マナ ヒーリングを受講 7月第4期苫米地英人アカデミー修了 |